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พจนานุกรม

รายละเอียดคำ

李密 (蜀)

持つ『三国志』の著者陳寿と共に批判の対象となった。即ち『陳情事表』において逆賊である西晋に阿り、正統王朝である蜀漢を「偽朝」や「亡国」などと呼称しているのは「不忠不義」と指摘された。この論理により、南宋以後の歴代王朝で、李密は徹底的に糾弾され貶められた。 ^ a b 『華陽国志』巻十一(四庫全書本)

คำที่เกี่ยวข้อง

李朝 (蜀)

李邵と若死にした別の弟はそれぞれ才能と名声があり、当時の蜀漢の人々によって李氏の三龍と呼ばれていた。蜀の名臣を讃える楊戯の『季漢輔臣賛』では、李朝を篤厚不動であり、心ばえよく、蜀の誉れとなる人と評価している。また華陽国志・先賢志では広漢郡の優秀な人材として、弟の李邵・王士・王甫らと並べ取り上げられている。

李密

李密(りみつ)は、中国史上の人物。 李密 (蜀) - 蜀漢・西晋に仕えた官僚。字は令伯。 李密 (東魏) - 南北朝時代の官僚・軍人・医師。字は希邕。 李密 (隋) - 隋末に割拠した群雄。字は玄邃。 このページは人名(人物)の曖昧さ回避のためのページです。同名の人物に関する複数の記事の水先案内のた

李豊 (蜀漢)

李 豊(り ほう、生没年不詳)は、中国三国時代の蜀漢の武将。荊州南陽郡の人。父は李厳(李平)。 章武8年(230年)、江州に駐屯していた李厳は、魏将曹真を迎撃するために漢中へ向かった。李豊は諸葛亮の上表によって江州都督督軍に任命され、父の職務をそのまま司った。諸葛亮によれば、この人事は李

李邈 (蜀漢)

後主は立腹し、獄に下して彼を処刑した。 裴松之の考えでは、『益部耆旧雑記』の記述は李朝・李邵および夭折の弟を合わせて三龍としたものだと思われる。李邈の度外れな率直さは、この数に入れることができないからである。 陳寿著:裴松之注『正史 三国志 5 蜀書』(井波律子 訳、ちくま学芸文庫)- ISBN 4-480-08045-7

李密 (隋)

ISBN 4198501181 [脚注の使い方] ^ 前島佳孝「隋末李密の東都受官に関する一試論」(『西魏・北周政権史の研究』(汲古書院、2013年) ISBN 978-4-7629-6009-3 (原論文:2002年)) 『旧唐書』巻五十三 列伝第三「李密伝」 『新唐書』巻八十四 列伝第九「李密伝」

蜀

(1)中国, 四川省の別名。 秦・漢時代に灌漑施設が整備され, 生産が高まり, 劉備がここに蜀漢を建てて以来しばしば独立国が形成された。 → 望蜀 (2)三国時代の王朝。 → 蜀漢 (3)五代十国の王朝。 → 前蜀 → 後蜀

蜀魂

※一※ (名) (1)ホトトギス目ホトトギス科の鳥。 全長約30センチメートル。 尾羽が長い。 背面は灰褐色。 腹面は白色で黒い横斑がある。 ウグイスなどの巣にチョコレート色の卵を産み, 抱卵と子育てを仮親に託す。 鳴き声は鋭く, 「テッペンカケタカ」などと聞こえる。 夏鳥として渡来し, 山林で繁殖して東南アジアに渡る。 古来, 文学や伝説に多く登場し, 卯月(ウヅキ)鳥・早苗(サナエ)鳥・あやめ鳥・橘鳥・時つ鳥・いもせ鳥・たま迎え鳥・しでの田長(タオサ)などの異名がある。 ﹝季﹞夏。 《~平安城を筋違に/蕪村》 (2)(「時鳥草」「杜鵑草」「油点草」の文字を当てる)ユリ科の多年草。 丘陵や低山の湿った場所に生える。 高さ約60センチメートル。 葉は互生し, 狭長楕円形で基部は茎を抱く。 秋, 葉腋に白色で紫斑がある花を一~三個ずつつける。 花被片は六個。 和名は花の斑を{(1)}の胸の斑に見立てたもの。 ほととぎすそう。 ﹝季﹞秋。 ※二※ (枕詞) {※一※(1)}が飛ぶ意から類音の地名「飛幡(トバタ)」にかかる。 「~飛幡の浦にしく波のしくしく君を/万葉 3165」

蜀錦

「蜀江(シヨツコウ)の錦(ニシキ)」に同じ。

蜀漢

⇒ しょっかん(蜀漢)

蜀漢

中国, 三国の一。 後漢(ゴカン)の滅亡後, 劉備(リユウビ)が蜀(四川省)に建てた漢(221-263)の称。 二代で魏(ギ)に滅ぼされた。 蜀。

蜀黍

(1)イネ科の一年草。 アフリカ原産。 食用・飼料とするため, 温帯・熱帯地方で広く栽培される。 形状はトウモロコシに似る。 夏, 茎頂に多数の小穂が円錐状につく。 実を精白・製粉して食用とする。 高粱(コーリヤン)は本種の一品種。 タカキビ。 トウキビ。 (2)トウモロコシの別名。 トウキビ。 ﹝季﹞秋。

蜀魂

〔蜀の望帝の魂が化したという伝説から〕 ホトトギスの別名。 蜀魄(シヨクハク)。 蜀鳥。

望蜀

〔後漢の光武帝が隴(ロウ)の国を平定したのち, さらに蜀の国をも望んだという「後漢書(岑彭伝)」の故事から〕 一つの望みをかなえてさらに次の望みをもつこと。 「~の嘆」 → 隴を得て蜀を望む

古蜀

古蜀(こしょく)は、古代の蜀にあった国。東晋時代の地誌『華陽国志』にその歴史が詳しく記されているが、司馬遷の『史記』では、紀元前316年に秦の将軍司馬錯に滅ぼされたことが記されるのみである。 東は巴、南は越、北は秦、西は峨眉山に接し、天府と称され、原名を華陽と言った。武王の帝辛(紂王)討伐にも参加し

蜀州

県を管轄した。 1283年(至元20年)、元により崇慶府は崇慶州に降格した。崇慶州は成都路に属し、晋原・新津の2県を管轄した。 1369年(洪武2年)、明により晋原県は廃止され、崇慶州に編入された。崇慶州は成都府に属し、新津県1県を管轄した。 清のとき、崇慶州は成都府に属し、属県を持たない散州となった。

蜀郡

蜀郡(しょく-ぐん)は、中国にかつて存在した郡。秦代から唐代にかけて、現在の四川省成都市を中心とした地域に設置された。 紀元前285年(秦の昭襄王22年)、蜀侯綰が反乱を疑われて処刑されると、蜀郡が置かれた。郡治は成都に置かれた。 前漢のとき、蜀郡は益州に属し、成都・郫・繁・広都・臨邛・青衣・江原・

前蜀

王衍は蜀の経済力に依存して奢侈にふけり、政治は宦官に任せきりで、民衆からは搾取を行った。これにより民心は急速に離反して行き、925年に後唐軍が侵攻してくると抵抗する者がおらず、簡単に滅ぼされた。王衍は長安に護送される途中で殺された。 前蜀滅亡後は後唐の武将の孟知祥がこの地の統治を後唐より任ぜられたが、後に独立して後蜀を建てた。

後蜀

後蜀(こうしょく)は、中国の王朝名。現在の四川省に成立した。 東晋から自立した譙縦の後蜀 (五胡十六国)(405年 - 413年)。 五代十国時代の十国の一つ。孟知祥の建てた後蜀 (十国)(934年 - 965年)。 このページは曖昧さ回避のためのページです。一つの語句が複数の意味・職能を有する場

黄蜀葵

トロロアオイの漢名。 ﹝季﹞夏。